稙田3大神社

                  西寒多神社

1)創建  息長帯媛(神功皇后)、 創築者  武内宿禰
       神功皇后、三韓征伐御帰陣のさい西寒多山(本宮山 607、5m) に立ち寄られ立願。
       証に白旗を立てられた。
       応神天皇(神功皇后の皇子)9年に武内宿禰公勅命を奉じて西寒多山に祭殿を建立し
       たのが始まり。

2)祭神  天照大御神、天忍穂耳尊、豊媛大神、月読尊、恩兼命、伊弉諾尊など十柱

3)平安時代の『延喜式』の「神名帳」には「豊後一ノ宮」とある。

4)のち、大友10代親世公が1408年に社殿を本宮山から現在地に移した。
  今も本宮山には祠が祭られている。
  大友宗麟公が花押の代わりに使っていた愛用のローマ字の印章や、大友能直、信長、秀吉、
  宗麟、義統、家康など多くの古文書が社宝として保存されている。
  また、境内には大分市の重要文化財として、校倉造りの宝物殿や石造りのアーチ形万年橋、
  大分市の天然記念物のフジ(樹齢450年)があり、毎年5月3〜5日はフジ祭りで賑わっている。

 

                  稙田神社 

1)創建  建久元年(頼朝の時代) 稙田の守護職 大神忠綱勧請

2)祭神  素戔鳴尊、雅日媛命、建男霜凝日子命

3)創建地 宮の迫(宗方台) のち、初代大友の時代に現在地に遷座。
       郷民の信仰篤く、稙田郷では古い守護神。

 

                  浅草神社

1)創建  2説あり、1つは 大友初代 能直 豊後守護職就任時 建久7年(1196年)、
       1つは 3代 頼泰が豊後下向の際 文永8年(1271)(頼泰が初めて豊後に下向)。
       鎌倉鶴ヶ岡八幡宮より分霊勧請。

2)祭神  誉田別尊(応神天皇)(武神・農耕神)、神功皇后、天照大御神 

3)大友氏の氏神としての格式
  社領・・・口戸〜八幡田一帯を3代頼泰寄進、篤く崇敬する。
    ○口戸という字名・・・・・八幡宮に奉仕する宮の領民の住んだ字。
                     八幡様への出入り口の部落ということ。
    ○八幡田という地名・・・・・八幡様の祭礼、神宮、社丁(しゃてい)などのまかない料の米や
                     作物を献上するための土地と住民。